ハイパーネットワーク社会研究所 <人事のお知らせ>

[会津泉] 2014-05-01

2015年3月末をもちまして、私、会津泉は、大分に本部を置く公益財団法人ハイパーネットワーク社会研究所の 理事長・所長の職を退任し、主席研究員に就任いたしました。なお、後任の理事長・所長には、大場善次郎さんが就任されました。

当初より、地元に本拠をもたないまま専任役員となることはあくまで「例外」と考えていましたが、ようやく次の体制にバトンタッチすることができました。この間お世話になった皆様には、厚く御礼申し上げます。

今後とも、公文先生のご指導のもとで取組みを始めた<ソーシャル・ファブリケーション>を中心に、情報社会の深化のための研究・実践活動を続けてまいる所存です。

ひき続き、皆様のご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

2015年5月1日

会津 泉

投稿者 : 会津泉

経済界掲載インタビュー

[山内康英] 2014-02-18 21:13:52

経済界1003号から3回に渡って「経済界」に掲載された山内康英のインタビューを再掲します。

サイバーテロ政府・企業とも対応は待ったなし!
安全保障の観点からサイバー攻撃を研究する山内康英教授に聞く

日米両政府は10月3日、東京都内で外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)を開き、自衛隊と米軍の役割分担を定めた「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を2014年末までに再改定することで合意した。

ガイドラインの改定は1997年以来、17年ぶり。これは、中国が軍事力を増やし、沖縄県・尖閣諸島周辺への海洋進出を進めていること、さらには北朝鮮が核・ミサイル開発を急いでいることなどに対応するためだ。合意は、日本側が米側に求めて実現した。

合意自体は、従来のガイドラインを見直すという点で、さほど目新しい点はない。しかし、そういう中で目を引いたのは、新たにサイバー防衛や宇宙での協力を申し合わせたことだ。サイバー攻撃問題に関する具体的な内容は今後、「サイバー防衛政策作業部会」を設置して検討していくのだという。

サイバー空間ではこれまで、中国や北朝鮮によるセキュリティ上の事案が日米両国に向けられており、今回の日米合意はこうした実情に両国が強い危機感を持ったからだと言えよう。

今回は、ネット社会での安全保障問題やサイバーテロリズム、ネットワーク・セキュリティー問題などを研究し、多くの著書や論文を発表している多摩大学情報社会学研究所所長代理の山内康英教授に登場いただいた。

セキュリティ問題が起きるまでネットワーク社会は明るく牧歌的だった

――山内さんがネットと安全保障との関係について研究を始めたのはいつですか。

山内 インターネット、つまりパケット通信の理論が世に出たのは1960年代ですが、所属していた組織が92~93年にインターネット接続を開始したため、この時期からネットとセキュリティの研究を始めました。

米国では93年にクリントン大統領が登場し、さっそくホワイトハウスのホームページを作りました。そこには大統領の娘のチェルシーさんが飼っていた「ソックス」という猫の写真がアップされており、それをクリックすると「ニャー」と鳴き声をあげる仕組みになっていました。ホワイトハウスにアクセスして、取材に来る記者の方に猫を鳴かせたりしたものです。

翌94年、クリントン大統領と羽田孜首相(当時)との間でインターネットを通じてやり取りすることになりました。実務を取り仕切ったのはゴア副大統領と熊谷官房長官です。急きょ首相官邸にサーバーを入れることになり、アスキーの西社長(当時)とご一緒に、国際大学GLOCOMがこの作業を手伝いました。「ドメイン名をどうしようか」ということになって、GLOCOM所長(当時)の公文俊平先生が「kantei.go.jpにしよう」と提案し、官邸は今でもこのドメインを使っているようです。

その後、95年秋にマイクロソフトが「Windows 95」を発売して、インターネットの商業化が始まりました。「Windows 95」(OSR2以降)はTCP/IPをバンドルしていて、インターネットに誰でも繋ぐことが出来るようになったわけです。

それらを見聞しながら、インターネットをめぐり何が起きているのだろうと研究を続け、その後、『現代日本の国際政策――ポスト冷戦の国際秩序を求めて』(有斐閣選書)の中に「情報化時代の情報と外交」と題した論文を寄せました。この論文は、東大時代のゼミの教官だった渡辺昭夫教授の勧めを受けて書いたものです。本は渡辺教授が編者になり、97年4月に出版されました。

現代日本の国際政策―ポスト冷戦の国際秩序を求めて (有斐閣選書)
現代日本の国際政策―ポスト冷戦の国際秩序を求めて (有斐閣選書)
渡辺 昭夫

95年の時点で予測できなかったサイバー攻撃の激化

――その本の中で山内さんは「インターネットの展開とその可能性」の項を立て、「インターネットのような情報基盤としてのコンピュータ・ネットワークがさらに発展した場合、国際社会の情報の流れはどのように変化するのだろうか」と自問していますね。

山内 95年の時点で考えていたことを書いたわけですが、そのポイントは「コンピュータ・ネットワークが持つ最大の潜在力は、国境を越えた情報の提供が、これまでの情報伝達の手段とは比較にならないほどの容易さで行われるだろう」「インターネットが持つ情報伝達の双方向性は、国家やNGO(非政府組織)、企業といったこれまでの国際社会の様々な主体が持っていた情報経路を大きく変えるだろう」ということでした。

この頃、国際的に影響力の大きいNGO「アムネスティー・インターナショナル(国際人権救援機構)」がホームページを公表しました。そこでは地域ごとのケースワーカーの住所をオープンにし、「人権侵害があったら、ここにメールしてほしい」と呼び掛けていました。インターネットのこういう使い方は、それまでなかったことです。従前ならマスメディアに広告を出したりするしかなかったわけですから。

こうした動きを見て、今後、インターネットは一種のプロパガンダ(宣伝)やインテリジェンス(情報/諜報)に使われるだろうということまでは予測できました。しかし、インターネットがサイバー攻撃に使われることになるとは95年の段階では予想できませんでした。ただし、この項の末尾の「注」の中に「ネットワーク化が進んだ社会は、これを利用した犯罪やテロ活動に対して脆弱になる」という一文を書き込むことだけは出来たのですが……。

いずれにしても初期のインターネットは牧歌的でした。インターネットの出発点が大学の研究者や技術者のコミュニティーだったからです。「これから国境がなくなるね」「お互いに支え合おう」などとバラ色で楽しい時代だったと言ってよかったわけです。

しかし、95年ごろから米国で「デジタル・パールハーバー(電脳真珠湾攻撃)」の懸念が出始めるようになり、事態は大きく変わっていきました。

「デジタル・パールハーバー」から「社会的ハクティビズム」へ

――「懸念が出始めた」とは、どういうことでしょうか。

山内 「デジタル・パールハーバー」は、国際テロリスト・グループが電信、電力、金融、行政ネットワークなどの重要インフラをサイバー攻撃する可能性があるというものでした。これを受けて各国で重要ネットワーク・インフラ防護がテーマになりました。実際に9・11世界貿易センタービル同時多発テロを契機に、世界の安全保障の関心は、イスラム原理主義などのGlobal War on Terrorismに向かったのです。

しかし、2008年ごろから「それは違う」という分析が出てきました。この点を明確にした一人が戦略国際問題研究所(CSIS)テクノロジー・公共政策部長兼上級研究員のジェームス・ルイス氏でした。彼は「サイバー空間の最大の脅威は国際テロリストではなく主権国家だ」と明言しました。これは、インターネットにかかわる脅威認識が、次の段階に移ったことを意味しています。このころ日本でもいわゆる標的型電子メール攻撃──spear phising──が始まっていました。国家がインテリジェンスを目的としてサイバー空間を使い始めたということです。

――具体例は?

山内 民間研究機関の配布資料のPDFに、日本の近隣にある国がマルウェア(悪意のある不正ソフトウェア)を仕込み、それを防衛機関の職員に送りつけるという事件が起こりました。狙われた職員が資料を開くと、その職員のパソコンが乗っ取られて情報が吸い取られる、という手法です。相談を受けてわれわれは「ハニーポット(蜜の壺)」を作り、攻撃した国を割り出そうとしました。「ハニーポット」はスパイの世界で、たまさか話題になる「ハニートラップ(甘い罠)」をもじったもので、侵入手法やウイルスの振る舞いを調査するために、インターネット上にわざと侵入しやすいように設定したサーバやネットワーク機器を置くことです。

ルイス氏の話に戻りますが、CSISでルイス氏とは次のような話をしました。①インターネットは、その国の社会状況を映す鏡みたいなものだ。SNSを定点観測していれば、その国の社会の動向や弱点が分かる。新しい形のインテリジェンス(情報/諜報)であり、インターネットはオープン・ソース(公開情報)そのものだ、②サイバー攻撃が国レベルで起きるとしたら、それは全面戦争に先立って、通信施設の破壊や兵站の攻撃などの後方攪乱に使うだろう、③当然のようにどの国も、インターネットをプロパガンダ(政治宣伝)のツールとして使うようになるであろう、④秘匿通信、プロパガンダ、メンバーのリクルートの経路として、国際テロ集団はインターネットに依存している。テロ集団はグローバルなネットを攻撃しないだろう、といった点でした。要するにルイス氏と合意したのは、「安全保障上のサイバー攻撃の脅威は、国家による軍事攻撃の一環としての利用であって、インテリジェンスとプロパガンダは、一種の脅威ではあるが別のカテゴリーであり、クレジットカード番号の詐取などの組織犯罪は、脅威としては、これとはさらに別のカテゴリーだ」ということでした。 こういう中で1999年3月、旧ユーゴスラビアのコソボ紛争の際、在ベオグラードの中国大使館誤爆事件が起き、怒った中国のハッカーがホワイトハウスや米国の空軍基地にサイバー攻撃を仕掛けました。

――これが新しく顕在化したサイバー攻撃の可能性だということでしょうか?

山内 ちがいます。これは従来なら大使館の前に行って、国旗を燃やしたり、シュプレヒコールを叫んだりした政治活動が、ネットの中で行われるように変わったということです。これらの活動を、ドロシー・E・デニング米海軍大学大学院教授(安全保障分析担当)は「ハクティビズム」と名付け、「ハクティビズムは政治活動だ」と論じました。政治活動には最大限の自由を認めるべきです。

――ハクティビズムというのは聞きなれない言葉ですね。

山内 「ハッキング」と「ポリティカル・アクティビズム(政治活動としての行動主義)」を合わせて造った言葉だそうです。ハクティビズムの典型は、ウェブ・ページの書き換えや、時間を指定したDoS(デナイアル・オブ・サービス)攻撃です。前者はwebのセキュリティを突いて、相手組織のホームページを書き換え、こちら側の主張を載せてしまうもの、後者は大勢の参加をネットで募って、時間とアドレスを公表して一斉にアクセスし、相手組織のwebを止めてしまうというものでした。2000年頃から、日本とアジアの近隣国の社会の間に、感情の対立の原因となる事件が起こるたびに、とても大きな社会的ハクティビズムの応酬があったのです。まぁ、実際にやっていたのは、どの国でも愛国心に燃えた中学生や高校生、2チャンネル用語で言えば「厨房」だったのですが。 しかしハクティビズムにも、次第に主権国家が影響を及ぼすようになってきました。たとえば2008年8月、北京オリンピックの開催をまえにして、聖火リレーの際に中国政府がとった行動です。この聖火リレーはギリシャから北京まで世界中を走ったのですが、ランナーの出走に併せるかたちで、チベット独立運動の行動家がデモンストレーションを行いました。これに気付いた中国政府が、『強国論壇』(国営メディアの大規模掲示板)で、「聖火を防護せよ」とのメッセージを、世界各国の華人コミュニティーに送ったのです。これを受けて世界の華人コミュニティが反応し、たとえばメディアの報道中に、中国国旗を掲げてチベットの旗を取り囲んで外から見えないようにしました。よく考えて見ると、この中国政府の行動は、潜在的にとんでもない意味を持っていました。

軍事攻撃の一環としてサイバー攻撃を警戒すべき時期に来ている

――「潜在的な意味」とはどういうことでしょうか。

山内 国家が、相手国に居住する自国のエスニック・グループに、インターネットを通じて、サボタージュや後方攪乱を示唆するメッセージを送れば、それが実現する可能性がある、ということです。聖火防護活動を通じて、中国政府は、人民戦争の人海戦術に世界中を巻き込める、核兵器や通常兵器の劣位を情報戦争で補うことができる、と気付いたのではないでしょうか。

2008年8月には、もう一つの重要な事象が起きています。黒海の東岸で、グルジアとロシアの間で起きた南オセチア紛争です。ここでは、南オセアチアの領有権をめぐって、両国が陸・海・空軍を投入し、激しい戦闘がありました。

この南オセチア紛争で、ロシア側は地上軍の進攻に先立って、大規模なハッキングを行い、グルジアの通信ネットワークが国際幹線をふくめて麻痺しました。このハッキングには、Russian Business Netoworkなどのロシアの組織犯罪グループ(マフィア)が協力したと言われています。これは国家によるサイバー攻撃を隠蔽するためです。重要なのは、ロシアがハクティビズムを装いながら、実際は軍事進攻の前段階として、サイバー攻撃を仕掛けた、ということです。

先に、米国の戦略国際問題研究所(CSIS)テクノロジー・公共政策部長兼上級研究員のジェームス・ルイス氏と、「サイバー空間の最大の脅威は国際テロリストではなく主権国家だ」「サイバー攻撃が国レベルで起きるとしたら、それは全面戦争に先立って、通信施設の破壊や兵站攻撃などの後方攪乱に使われるだろう」という予想で一致した、と述べました。グルジア紛争は、まさにこの予想の実現だと見えたのです。これは、国際テロリスト集団による重要インフラ攻撃から、国家によるサイバー攻撃対処に政策を転換すべき時期を迎えている、ということです。

――2013年3月20日、韓国の主要放送局や金融機関が大規模なサイバー攻撃を受けました。攻撃したのは北朝鮮偵察局だと言われていますが、これもグルジアでの紛争と同じサイバー攻撃だ、ということになりますか。

山内 そう考えるべきでしょう。北朝鮮は、陸軍が38度線を突破する前に、韓国の情報ネットワークを攻撃する能力をデモンストレートした、と見るべきです。今回、北朝鮮が韓国をサイバー攻撃する間、韓国と米国は合同軍事演習「キー・リゾルブ」を実施していました。米空軍のB52爆撃機が、19日にグアムのアンダーセン空軍基地から韓半島に飛来し、北朝鮮に対して「核巡航ミサイルで先制攻撃できるぞ」と威嚇したわけです。北朝鮮は、これに対抗して「わが国も先制攻撃できるぞ。それはサイバー攻撃だ」と、その能力を誇示したのではないでしょうか。

この北朝鮮の攻撃は、韓国側の心胆を寒からしめたのではないか、と思います。攻撃の発端が、韓国国内に潜入している多数の北朝鮮工作員による可能性があるからです。今回のサイバー攻撃で使った技術は、特別なものではなく、普通の「MBR(マスター・ブート・レコード)攻撃」だったようです。MBRはWindowsパソコンの電源を入れた際、最初に読みにいくプログラムですが、今回のウィルスは、これを選択的に破壊し、感染したPC3万台が起動しなくなりました。工作員が各企業のLAN内のアップデート用のサーバーなどに直接、ウイルスを仕込んだ可能性もあると思います。

このことは、ある意味で日本に対する警告にもなります。日本にも北朝鮮の工作員が潜伏していて、重要インフラの制御システムにウイルスを仕込んだらどうなるか――といったやっかいな問題点を含んでいるからです。

――韓国で起きたようなサーバー攻撃を受けた場合、自衛権を行使して相手国を攻撃できるのでしょうか。

山内 軍事活動の一環としてのサイバー攻撃は、国際社会の真空状態で起きるのではなく、両国の緊張関係と武力攻撃の蓋然性が高まって、いわば一触即発の段階になってからでしょう。その際、急迫不正のサイバー攻撃があった場合に、相手国のサーバーを破壊することは専守防衛の観点から言って可能だと思います。相手国は何段階もの“踏み台”を作って攻撃してくるかもしれませんが、軍事侵攻がサイバー攻撃に続くわけですから、相手を特定するも何もありません。大事なのは、そうした段階に至る前に、サイバー空間でも防御態勢を整え、常時、相手国の動向を見ているということです。もしも攻撃頻度が上がったら、「日本はちゃんと見ているゾ」というサインを出して攻撃を抑止していくべきでしょうね。

編集構成:仮野忠男/政治ジャーナリスト、元毎日新聞論説委員

投稿者 : 山内康英

ハイパーネットワーク社会研究所 <人事のお知らせ>

[会津泉] 2013-06-10 15:00:00

5月末をもちまして、私、会津泉は、大分に本部を置く、公益財団法人ハイパーネットワーク社会研究所の 理事長・所長に就任いたしました。本研究所の主任研究員としての務めも、引き続き続けてまいります。

ハイパー研は、1993年に創設され、初代所長に公文俊平先生(多摩大学情報社会学研究所所長)が就任され、 その後、字津宮孝一先生(大分大学教授)が二代目所長となり、今回私が三代目の所長を拝命しました。 また、4月1日に公益財団法人に移行し、字津宮先生を継いでその理事長にも就任いたしました。

ハイパー研は創立20周年を迎え、あらたな20年に向けての歩みを始めています。 とくに、<ソーシャル・ファブリケーション>が次の大きなテーマになるとの仮説のもとに、あらたな 展開に向けて、しっかり足場を固めてまいりたいと考えております。

詳しくは、以下をご覧ください。

http://www.hyper.or.jp/article.php/20130604172739682

皆様のご支援、ご理解のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

2013年6月10日

会津 泉

投稿者 : 会津泉

Izumi Aizu - Profile

[会津泉] 2013-06-10 12:00:00

Izumi Aizu Bio (as of Jan, 2016)

iza@anr.org, www.anr.org

Senior Research Fellow and Professor, Institute for InfoSocionomics, Tama University

Principal Researcher, Institute for HyperNetwork Society

Born in 1952, Mr. Aizu joined the printing industry in 1971 after graduating from high school. In 1976, he joined the international advertising, marketing and public relations business as sales and planning manager.

In 1984, after spending a few years in the technical communications field to produce software manuals for PC products, he encountered with the emerging computer networking activities in the United States. In 1986, he co-founded the Institute for Networking Design, a think-tank specializing in computer conferencing in Tokyo. He also served as Secretary General of the Networking Forum, annual national conference on PC-based networking in Japan from 1987 to 1992. He has promoted both local, community-based networking and global, cross-border human networking by connecting the PCs through telecom networks. He has also made several rounds of research work on the status of PC networking in the U.S., Videotext in Europe, E-mail and Computer conferencing in Japan, US and Europe as a comparative Study.

In 1990, he organized “HyperNetwork Conference - look into the future of Network Society in 25 years from now” which In 1993, he co-founded Institute for Hyper Network Society (IHNS) whose main office is in Oita, a local city in Kyushu Island, and actively promoted community networking with grassroots citizens.

In 1991, he joined the newly established GLOCOM (Center for Global Communications), at the International University of Japan, as Head of Planning. After attending INET 92 in Kobe, he started to promote Internet in Japan: giving strategic advises to ICT and media industries, national and local government agencies, working on policy and strategic issues in global context with strong focus on Asia. He was also vocal in pushing the Internet against the strong policy debate of whether the dominant Telco, NTT, should be broken up by the Government as a form of new regulatory policy. Together with colleagues at GLOCOM, he pointed out that incumbent telecom network was not the central issue, rather, giving birth to the Internet is. GLOCOM also helped Japanese government and industry leaders to communicate with US counterparts including the Clinton administration.

In 1997, he moved to Kuala Lumpur, Malaysia, and founded Asia Network Research, an independent research unit dedicated to promoting networking in Asia-Pacific region, focusing on societal aspects of the Internet, including global governance and digital divide issues. Between 1998 and 2000, he also worked as Secretary General of the Asia & Pacific Internet Association (APIA), a trade association representing Internet business community. Under that capacity, he was heavily involved in the process of forming ICANN (Internet Cooperation for Assigned Names and Numbers) including hosting the IFWP meeting and the first ICANN meeting both in Singapore.

In 1999, he co-organized the global campaign on Y2K on Internet. He was instrumental in creating the Internet Y2K Coordination team in Japan with technical and operational community, as well as liaised with the US counterparts including Y2K Council at the White House and people from Department of Commerce.

In April 2000, he moved back to Tokyo where he continues the research work on promoting the Internet in Asia. He represented Japanese NPO under the government’s requests to GLOCOM, for the Digital Opportunity Task Force, or DOT Force, initiated by the G8 to address digital divide issues. GLOCOM led the debate at the “Universal participation for new and emerging field”, to help developing countries participate in such process as ICANN, W3C, etc. In 2001, he was again asked by the government to organize supporting Asian NGOs and Civil society member to participate the preparatory process of WSIS (World Summit on the Information Society).

In April 2002, he was promoted to Deputy Director at the Institute for HyperNetwork Society, and in August 2004 he co-found Internet Governance Task Force of Japan (IGTF-J) to engage in the international debate on Internet Governance at the WSIS Working Group on Internet Governance set by the United Nations. He worked as the Secretary of IGTF from 2004 to 2006.

In March 2008, he was appointed as Professor at Institute for InfoSocionomics, Tama University, and in May 2008, he was appointed as the Secretary for the Satellite Broadband Promotion Council of Japan.

In 2009, he co-founded Japan Internet Domain Name Council in charge of the selection and oversight of new Internationalized Country-Code TLD, “dot Nippon” and became a member of its Steering Committee. JIDNC concluded its work in 2011.

In 2010, he was elected as one of the Co-coordinators of the Civil Society Internet Governance Caucus, the civil society voice engaging in the Internet Governance Forum (IGF). He was also selected as the member of the CSTD Working Group on the improvement of the IGF from the civil society.

In 2011, after the East Japan Great Earthquake, he proposed to initiate the relief works using ICTs to the devastated areas which led the foundation of Information Support pro bono Platform, iSPP, a not-for-profit organization with some 100 members. Mr. Aizu led a research project on “How people behaved with ICT – what they could rely on and what they could not” – issued a detailed statistical report and also wrote a book published in Mar, 2012.

He started to research and promote "Social Fabrication" since 2013, helped to setup FabLab Oita, participated in several FabLab related conferences, organized workshops including "Future of Industry, Mobility and Making (FIMM)" unConferences starting one in Paris, March 2015, then in Rotterdam, Toyota, Yokohama and Oita in 2015.

He served as the Executive Director of the Institute for HyperNetwork Society from May 2014 until March 2015.

Publications

His publications in English include:

“Ensuring a Truly Global Policy-Making Process”, OnTheInternet, newsletter by Internet Society, July 29, 2000 “Why Asians Should Join The Domain-Name Fray”, ASIAN WALL STREET JOURNAL, Feb 28, 2000 “The Emergence of Netizens: The Cultural Impact of Network Evolution in Japan”, NIRA Review, Fall 1995. “Not problems, opportunities”, An interview with NTT President Masashi Kojima, WIRED, Dec. 1994 “Co-emulation: The Case for a Global Hyper Network Society”, Shumpei Kumon and Izumi Aizu, a chapter in "Global Networks”, Linda Harasim ed, MIT PRESS 1994 “BEYOND NETWORK NEUTRALITY, The State of Play in Japanese Telecommunication Competition”, co-authored with Judit Bayer, Telecommunication Journal of Australia, July 2009 “Japan” chapter for Global Information Society Watch 2009, Association for Progressive Communications, under the theme of Content Regulation, Green ICT and Disaster and the use of ICT in 2009, 2010, 2011 respectively.

His books in Japanese include:

“Internet Governance: Ideals and Reality” (2004) “Net Revolution from Asia” (2001) “Easy Steps to Internet Business” (1996) “Evolutionary Network” (1994) “PC Network Revolution” (1986) “The Report on Personal Computer Networking in US” (1985) His translation works from English into Japanese include: “Groupware” by Robert Johansen (1986) “Odyssey” by John Sculley (1988) “Networld” by Albert Bressand (1991) “Virtual Community” by Howard Rheingold (1995) “Smart Mobs” by Howard Rheingold (2003, co-translated)

Awards:

He received David Rodale Award from Electronic Networking Association in 1988 for his contribution to 'building the global communities'; Plaque of Appreciation from EMPAL (Electronic Mail Pal) of Korea in 1990; Award of Excellence for his book "Evolutionary Network" in 1995 from Telecommunications Advancement Foundation in Japan; and Best Author Award in 1996 for his paper “Emerging Internet” in Japan's Information Processing Society Journal.

He is currently member of the following committees and associations: Study Committee on smooth adoption to IPv6, Ministry of Interior and Communications (since 2009) Member, Civil Society Internet Governance Caucus (since 2003) Advisory Committee, Asia Pacific Internet Conference on Operational Technology (APRICOT) (since 2002)

He was member of the following international committees and associations:

Vice Chair, Electronic Networking Association (1990-1992) Vice Chair, Asia Pacific Networking Group (APNG) (1994-1998) Membership Advisory Committee (MAC), ICANN (1998–1999) Advisory member, Internet Policy Program at Aspen Institute (1998-2001) International Advisory Panel, Asia Pacific Development Information Program (APDIP) at United Nations Development Program (UNDP). (1999-2001) G8 Digital Opportunity Task Force, representing Japanese NPO (2000-2002) Advisory, Internet Content Rating Association (ICRA) (2000-2003) NGO and Academic ICANN Study (NAIS) (2001-2002) ICANN AtLarge Advisory Committee (ALAC), elected from Asia Pacific AtLrage Organization (APRALO) (2003-2008) High-level Advisor, United Nations Global Alliance for Information and Development (2006-2008) Member of ICANN AtLarge Advisory Committee (ALAC) (2003-2008) Council, Internet Association Japan (since 1993) Member of Steering Committee, Japan Internet Domain Name Council (2009-2010)

He also served for the following Governmental and other committees: PC Communications Study Group, Ministry of International Trade and Industry PC Communications Study Group, Ministry of Post and Telecommunications PC Communications Study Group, Ministry of Home Affairs [All three different study groups by different ministries at the same time; 1985-1986] Study Committee on Domestic Communication Appliance, Ministry of Post and Telecommunications (1988-1989) Telecommunication Technology Committee, Working Group on Network viewed from Outside, Nippon Telephone and Telegraph (NTT) (1993-1996) Information Technology Study Committee, Ministry of International Trade and Industry (MITI) (1990-1993) Information Technology Standardization Study Committee, National Industrial Research Institute, MITI (1995-19) Mobile Number Portability Study Committee, Ministry of Interior and Communications (2003-2004) Secretary, Internet Governance Task Force of Japan (2004-2006) Communication Service Platform Study Group, Ministry of Interior and Communications (since 2008) Study Committee on Internet Policy, Ministry of Interior and Communications (2008-2009)

His research and advocacy focus is the effective and proper use of Internet in society, including policy and strategic issues, based on the end-user's viewpoint and value. He is interested in forming global culture through The Net, linking people to people through heart-to-heart communications in the cyberspace and in the real world. His recent focus is Asia and social development in policy issues, user participation, security and safety, and the governance of network society. He is married and has four daughters and four grandchildren.

投稿者 : 会津泉

事務所移転のお知らせ

[お知らせ] 2012-12-12 17:36:15

本研究所はこのたび以下に事務所を移転しました。旧事務所から徒歩2分のところです。なお、電話・FAX番号に変更はありません。

詳しくは、お問い合わせのページをご覧ください。

新住所
〒153-0064
東京都目黒区下目黒4-11-18
マンション清水台308

Tel: 03-3712-3758
Fax: 03-3712-3485
Mail: office@ni.tama.ac.jp


投稿者 : 多摩大学情報社会学研究所事務局

2012年度講義・社会システム論参考資料

[公文俊平] 2012-02-17 11:24:51

2012年度の多摩大学講義、社会システム論の参考資料です。

社会システム論参考資料

投稿者 : 公文俊平

東北地方太平洋沖地震について

[お知らせ] 2011-03-19 23:04:07

この度の東北地方太平洋沖地震と大津波により亡くなった方々のご冥福を謹んでお祈りいたしますとともに、被災者の皆さまには心からお見舞いを申し上げます。また連日連夜、救援・復旧にあたっている皆さま、福島原子力発電所で日夜危険を顧みず奮闘されている皆さま、本当にご苦労さまです。当研究所としても救災・復興の一助となるべく、微力ではありますが貢献を考えておりますので引き続きよろしくお願い申し上げます。

所長/公文俊平

投稿者 : 多摩大学情報社会学研究所事務局

仮想インタビュー:情報社会とウィキリークス

[山内康英] 2010-12-01 21:29:13

さて、ここ2・3 日の新聞を見ていると、ある言葉がやたら目に付きます。特に外交面(欄)ではそうです。それは、「ウィキリークス」という言葉。例えば、昨日の朝日新聞夕刊を見ると、ウィキリークスが暴露したアメリカの文書によって見えてきた「中国の北朝鮮に対する見方」や、今回の暴露に対するクリントン国務長官やイタリア首相の反応などが一面で大きく記事になっています。

この「ウィキリークス」、記事では民間告発サイトと表記されているのですが、私を含めたネットに強くない人にとってはどんなものなのか分かりにくいものです。例の「中国漁船衝突事件」でYouTubeというものがネットユーザー以外にも知られるようになったように、今回の騒動で「ウィキリークス」という言葉も知っておかねばならないものなってきているのかもしれません。

そこで、今日の「聞きナビ」は、「ウィキリークス」とは何ぞや?ということでお送りします。今日、話をお聞きするのは危ないネットメディアに詳しい多摩大学情報社会学研究所教授の山内康英先生です。


  • こんにちは。今日はよろしくお願い致します。
  • よろしくお願い致します。
  • まず、「ウィキリークス」とはどんなものなのですか?いつ、誰が、どんな目的で始めたものなのでしょうか?(サイトの概略・目的)
  • ウィキリークス(Wikileaks)は、政府や企業の秘密の情報を公開するウェブサイトです。2006 年末にジュリアン・アサンジさんというオーストラリア人を中心とするグループが準備を始め、2007年から本格的に動き出しました。その目的ですが、ウィキペディアというオンラインの辞書があります。いろいろな人の知恵や知識を集めればより正しい情報になるという考え方ですね。これを集合知と言います。何々ペディアという試みがたくさんできまして、その一つが秘密情報を公開するウィキリークスということになります。たとえばカメラペディアというのは古カメラ愛好者が集う穏健なサイトです。

    http://www.camerapedia.org/wiki/Pilot_6

  • さて、今回はアメリカの外交文書が掲載され騒ぎになっていますが、この「ウィキリー クス」というサイトには、どんなデータが収められているのですか?政治的なものだけではないのですか?(開催されている文書に種類や量について)
  • 情報の内容は、政府文書、企業秘密、業界団体、個人のゴシップ的なものなど広い範囲です。全部で200 万点は超えているでしょう。ただし1 点のカウントには注意する必要があります。とても短い外交電信も1 点に数えているようです。

  • 我々でも、そんな文書を見ることができるんですか?(簡単な調べ方) 英語ですよね?
  • 25 万点の外交文書というのはとても大きな分量です。見ると言ってもとても見られるものではありません。まず精査して分類する必要があります。ガーディアンというイギリスの労働党系の新聞がこれを分類して自分のサイトに掲示しています。

    ウィキリークスの閲覧ですが、Google で「ガーディアン」と打つのが一番早いでしょう。Wikileaks.org が本拠地のウェブですが、現在、アクセスすることが出来ません。ウィキリークス側は大規模なDDoS 攻撃に遭遇と言っています。これはTwitter 経由です。

    http://twitter.com/wikileaks/

    ウィキリークスではアクセスを確保するためにミラーサイトを各地に設けています。以下のウェブは現在のところアクセスできます。

    http://mirror.wikileaks.info/

  • 逆に載せる方、「ウィキリークス」への情報の投稿というのは誰もができるものなのですか?そしてそのまま、サイトを管理する誰かが判断することなく掲載されるものなのでしょうか?(投稿システムについて)

  • 投稿はウェブページから出来ますし、郵送でも良いと言っていますが、やったことがないのでわかりません。掲載の前にウィキリークス側が事前審査をします。

  • その投稿に関してですが投稿者の秘密は守られるものなのですか?「漁船衝突事件」で注目を浴びた映像投稿先のyoutube の場合は、警察から求められ、データを公開したと聞きますが・・。(投稿者の匿名性の保持は)

  • ウィキリークスは秘密が守られると言っています。一つの例外は、この夏ロイター現地人記者2 名を含む市民を攻撃した米軍ヘリコプターの映像をウィキリークスに送った容疑で逮捕された米軍のマニング上等兵です。しかしこの事件は別のルートから検挙されたと報道されています。具体的にはマニング上等兵が友人に送ったチャットの内容を、その友人がFBI に通報したと言うことです。

  • あと気になるのは掲載されているデータ、文書の信頼性なんですが、その点についてはどうなんでしょうか?(掲載データの信頼性)
  • ニューヨークタイムス(米)、シュピーゲル(独)、ガーディアン(英)という各国の大手新聞が事前に調査をしています。また集合知によって信頼性が維持できる、ということ自体がウィキの根拠になっています。

  • 今回の外交文書暴露を含め、こうしたサイトを作り維持していることは法的に見た場合、セーフと言える行為なのでしょうか?(暴露サイトの合法性、不法性について)
  • ウィキリークス側も事前に法的問題は良く検討しており、どの政府も運営自体の違法性を明証することは出来ていないようです。各国政府ともどのような法的規制を掛けることができるか急遽検討しているところです。

  • こうした行為に当然、政府は反発しますから、「ウィキリークス」への圧力もあるそうですね?(各国政府などからの圧力は)
  • 関係国は中心人物のジュリアン・アサンジ氏に対して大きな圧力を掛けています。ガーディアンの記事によるとスウェーデンの要請により国際刑事警察機構(Interpol)が所在地通報の公告を出したとのことです。容疑は性的な傷害行為ですが、真相は錯綜してよくわかりません。

    http://www.guardian.co.uk/media/2010/nov/30/interpol-wanted-notice-julian-assange

  • この「ウィキリークス」の行為についての海外での評価というのは、毀誉褒貶あると思 いますが、どうなんでしょうか?(サイトの存在の受け止められ方)

  • 強く非難する声と、擁護する声が混じっています。活動を抑制しようとする政府の圧力は強まっていますが、他方で実際の情報開示は各国の新聞メディアがウェブなどで行っており、メディア全体の活動の一環になってきているようでもあります。なんと言っても、新聞はマスメディアの中で生き残りをかけていますからね。このように膨大なデータを分析することからメディアのストーリーを作ろうとする活動をデータベース・ジャーナリズムなどと呼んでいるとのことです。つまり新聞やテレビなどのマスメディアとの棲み分けないしはネットワーク化ですね。ジャーナリズムとウィキリークスとの関係については佐々木俊尚さんや次のBlog が良くまとめています。テレビのコメンテーターもだいたいこのへんの孫引きでした。

    http://www.newsmag-jp.com/archives/tag/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

  • 今回の外交文書暴露で、「ウィキリークス」への圧力がさらに強まると思われますが、今後、どうなっていくのでしょうか?(「ウィキリークス」の今後)

  • ウィキリークス自体がいつまでも続くものかどうかは分かりません。次第に政府の活動に公然と反対する姿勢を強くしているようです。ある日、店仕舞していたとしてもまったく不思議はありません。なんと言ってもベスト・エフォートのインターネットですから、それはそれで構わないわけです。

  • 「中国漁船衝突事件」、そして「米外交文書暴露」と立て続けで、現場に近い所から秘密が漏れてくる事態が発生しましたが、「ウィキリークス」などの存在によって、こうした事はこれからも続くと考えていいのですか?(漏洩事件は続くのか)

  • 内部告発は一定の頻度で起こっています。有名なのが、ダニエル・エルスバーグ(Daniel Ellsberg)が1971年に告発したペンタゴン文書と、これに続いて72 年に起こったウォーターゲート事件です。この二つの事件はベトナム戦争に反対する立場から米国政府の関係者が起こしたもので、いろいろな経緯はありましたが、ニクソン政権の弾劾とベトナム戦争の終結に繋がりました。今度の漏洩事件もイラク戦争という批判の多い戦争と無関係ではありません。政府の政策に強い批判があるとき、またそれが広範な世論と結びついたときに内部告発が起こることになります。

    さて、今後も政府文書の漏洩が続くのかという予想ですが、米国の情報漏洩についてはアフガン戦争の政治的な終結と“You can change” を標榜する民主党大統領の政権交代という背景があるのかもしれません。まったく”You can change”とは良く言ったものです。何を言いたいかというと、ベトナム戦争と同じようなある種の特殊な政治的雰囲気の中で起こった出来事ではないか、ということです。また政権交代にさいしては常に政治的なタガの緩みが生じます。このように考えれば今後はこのような大規模な漏洩はそれほど多発しないのかもしれません。Wikileaks.org のHP にダニエル・エルスバーグの動画が載っていて、これは Democracy Now のインタビューに答えたものですが、「その中で今回の内部告発を40 年待った」と言っていたのが印象的でした。

    このように特殊な政治的雰囲気の中で起こったということ、また政権交代にさいしては政治的なタガの緩みが生じる、というのは日本の民主党政権と海保の事件でも同じ関係かと思います。まぁ、外務省の核持ち込みに関する日米覚書の暴露が示すように、政府自身がシャカリキになって機密文書の漏洩をやっているのが現状ですからね。

  • 今後とも内部告発が続くとして、われわれはこれをどのように考えれば良いのでしょうか?

  • 内部告発者のプロファイリングを考えてはどうか、というのが私の提案です。プロファイリングというのは犯罪の性質や特徴から犯人の特徴や背景を推論することです。内部告発者は英語では whistleblower ですが、文字通り警鐘を鳴らす者ですね。組織が法律違反を行う場合にはこれに関する内部告発者は保護されます。日本では、公益通報者保護法というものがあり、米国ではWhistleblower Protection Act があります。

    http://www.caa.go.jp/seikatsu/koueki/gaiyo/jobun.html

    ただし、告発者の雇用や処遇が保護される告発の対象は、事前に規定された法律に列挙されたものに限られるのです。たとえば業界の闇カルテルや企業ぐるみのトラックの違法積載、違法な土木工事、環境汚染となる違法投棄といったものですね。政治的な内部告発者は、もちろんこのような線引きを意図的に越えたところで行動に出たわけです。

  • 内部告発者は組織の忠誠義務の違反者だということですね。

  • 義務というのは特定の社会的な秩序に対して成されるものです。しかし社会的な秩序にはレイヤーがあるのです。ある秩序を作り出す秩序、そのまた秩序を作り出す秩序、というようにね。たとえば特定の政権はある外交政策を作り出しますが、その政権を作り出したのは代表制選出制度と民主主義です。ある外交政策──たとえばベトナム戦争のような──が、民主主義というより根源的な秩序のプラットフォームに違反している、というのが真剣な内部告発者の主張だということになります。かれらの忠誠はこの下位のより根源的なレイヤーに対して向けられる訳です。理念的には、ですが。

  • なにを言っているのかわかりません。

  • つまり内部告発者は公共(publicness)の再定義を独自にしている訳ですね。言ってみれば「a 正しい公共」ということです。

  • それは菅首相の言う「新しい公共」の不定冠詞単数型ですか?!

  • 親父ギャグです。

  • だんだん混乱してきました。それが情報社会とどう関係するのですか?

  • 情報社会では声の大きい者たちによる「a 正しい公共」s が散乱していくのです。それを統合するのは、一つは権力です。これは上から暴力的に公共の数を減らします。もう一つは empathy です。これは個々人が想像力によって公共の数を縮約します。Empathy という言 葉を使ったのは共感=sympathy と区別するためです。感情的な共感ではなく、他者が何故このような行動を取ったのかという理解についての想像力ですね。

  • 『道徳感情論』ですか?少し古くありませんか?それがプロファイリングと結びつくわけですか?

  • さすがBS○○ですね。大丈夫です。まだモダンです。そうです。それがプロファイリングと関係してくるわけです。公的組織の中にいる人たちは権力の怖さを良く知っていますから、内部告発をするというのはよほどのことです。彼らは社会的生命を賭しているわけですから、一種のダイイング・メッセージですね。ダイイング・メッセージぐらいは皆で落ち着いて考えようじゃないか、と。情報過食症とPV 乞食を脱して、と。契約的な社会システムを措定する正義ではなく、特定の他者の顔を想定した正義を、というヤツですね。海保の方も「皆に自分の問題として考えて欲しかった」と言っています。そしてひとりひとり、自分が今度内部告発者にならずに済んだ幸運を密かに喜ぶのです。

  • いきなり正義論ですか?まさかデリダの「法の力」とか出てくるのではないでしょうね。想像力とempathy に一体どのような効果があるのですか?

  • それが公共を暴力的に減らそうとする権力の一つの対抗措置になります。そうでなければモニタリングの強化というシステム側の闇雲な制度設計の繰り返しがあるだけです。

  • よくわかりませんが何か面白かったような気もします。とくに後半について勉強になったと言いたいところですが、もう少し分かり易く言っていただかないと番組は困ります。ともかく今日はどうもありがとうございました。(締めのコメント)

  • ありがとうございました。

投稿者 : 山内康英

情報社会と世界システム:近代化の定位

[山内康英] 2010-11-02 14:02:12

情報社会と世界システム:近代化の定位

山内康英 著

情報社会と世界システム:近代化の定位

投稿者 : 山内康英

情報社会の現在(未定稿)

[公文俊平] 2010-09-22 11:40:14

現在、『情報社会の現在』を執筆中です。未定稿ですが、事前のコメントをいただくために、全6章の内の最初の3章と参考文献リストを以下に公開します。

  • 情報社会の現在序章(v4)
  • 情報社会の現在第1章(v4)
  • 情報社会の現在第2章(v3)
  • 情報社会の現在第3章
  • 情報社会の現在第4章
  • 情報社会の現在:参考文献v2

第3章を公開いたしました。(2010/11/04 23:55追記)

第4章を公開しました。(2010/12/30 10:45追記)

脱稿に当たり、未定稿の掲載を終了いたします。完成稿は、『情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ』として、NTT出版より刊行されました。ご参照下さい。(2011/06/01 17:12追記)

情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ
情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ
公文 俊平


投稿者 : 公文俊平
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